大阪・関西万博は一番乗りをやめる! 博覧会出席で大学進学を逃した万博マニアの二神敦さん



会社員として働くかたわら、博覧会マニアとして国内外150を超える博覧会・万博を訪問。世界中の人と交流してきた二神敦さん。21世紀公園都市博覧会に一番乗りするなど、イベントの一番乗りも数多くしています。ドバイ万博やこれまで訪問した博覧会の話、大阪・関西万博への想いなどをうかがいます。二神さんの参加者としての体験・目線から、現代の万博の役割、新しい万博のカタチをコースケ・よーこと一緒に考えます。

ゲスト
二神敦さん
Profile
1972年 神戸市生まれ
1981年 地元で開催された、人生初の博覧会「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)」で感動したことをきっかけに、日本各地の博覧会を訪れるようになる。
1988年 ホロンピア’88  21世紀公園都市博覧会(兵庫県三田市)で、初の博覧会一番乗りを経験。以来、国内・海外の博覧会で数々の一番乗りを果たす。
1989年 世界デザイン博覧会のため訪れた名古屋で、「21世紀万国博覧会構想」を知る。これ以後2005年開催までの16年、開催後本年まで17年、愛知万博を追いかけることとなる。
1990年 EXPO’90 国際花と緑の博覧会で、人生初の万博を経験。同時にボランティアも務める。(高3)
1991年 博覧会へ行き過ぎて、浪人する。が、「博覧会はその年に一度っきり」のため、悔いはナシ。(「センター試験’91」に失敗しても、翌年また「センター試験’92」は開催される。しかし、EXPO’90へ行かずに現役合格しても、翌年EXPO’91を見られるワケではない)
1992年 なんとか大学へ進学。第9回 全国都市緑化フェア グリ~ンウェ~ブ相模原’92 でパビリオンスタッフに応募。開催地のホストパビリオン 「相模原市館」 で、アルバイトスタッフとして勤務。これが博覧会における、唯一の有給スタッフ経験となる。
1993年 多摩博覧会 「TAMAらいふ21 VOICE’93」 の協会アルバイトスタッフとして採用決定。しかし、父親のガン発病により断念。
1995年 臨海副都心で開催予定だった「世界都市博覧会」の中止を、青島幸男東京都知事(当時)が決定。スタッフ勤務or 一番乗りを目指していたものの、実現できなくなったため、就職を機に帰郷することを決心。なお、博覧会は中止となったものの、会場へのアクセス路線となるはずだった「ゆりかもめ」は予定通り開通することとなったため、開業初日に新橋駅で一番乗りを果たす。1996年 大学のクラスメイトで行った卒業旅行に合わせ、パリ・ブリュッセル・セビリア・バルセロナなど過去の万博開催都市を訪問。
1996年 卒業旅行で立ち寄ったリスボンで、たまたま万国博覧会の開催情報を知る。1998年に開催予定であった工事現場に足を踏み入れ、靴が泥沼にハマる。と同時に、「2年後に絶対オレはココに帰って来る」と誓う。      
1996年 就職。本来であれば、1997年にオープンする大阪ドームの運営会社である「大阪シティドーム」の定期採用第1期生として就職するつもりが、最後の最後で「安定」を取ってしまい、現在の会社へ就職。一生、後悔することとなる。
1998年 長野冬季オリンピック・パラリンピックを訪問。五輪の偉大さを知る。
1998年 卒業旅行で建設予定地を訪れた「リスボン万博 EXPO’98」を、人生で初めて海外の万博として実際の万博開催時に訪れる。たまたま閉会式のタイミングに重なったが、フィナーレのあまりの盛り上がりに感動し、その後21世紀に開催されたすべての万博の最終日を訪問することとなる。最終日に訪問した万博 EXPO 2005(愛知)、EXPO 2008 (サラゴサ)、EXPO 2010 (上海)、EXPO 2012 (麗水)、EXPO 2015 (ミラノ)、EXPO 2017 (アスタナ)、EXPO 2020 (ドバイ)
2000年 21世紀最後の一般博「EXPO 2000 ハノーバ万博」を訪問。
2005年 愛知万博開催。当初は月に1度ほどのペースで訪れるつもりが、結果的に毎週末、万博会場を訪れることとなる。
2010年 上海万博開催。愛・地球博ボランティアセンターでの交流企画として実施された、「上海万博日本人ボランティアチーム」の一員として、万博公式ボランティアに参加。
2011年 博覧会生活30周年を記念し、吹田市立博物館において講演会 「博覧会たずねて30年~1981ポートピアから2010上海万博まで」 を開催。この出演をきっかけに、関西大学・ 愛知万博メモリアルイベント・パナソニックミュージアム・土木学会・大阪デザイン協会・中之島図書館など、各方面から講演依頼が寄せられる。
2012年 EXPO 2012 麗水万博で、初の「万博一番乗り」を果たす。この時のBIE事務局担当者が現・事務総長のディミトリさんで、当時は気安く会話ができていた。
2016年 トルコ・アンタルヤ花博で、AIPH (世界園芸家協会)のバーナード会長やティム事務総長に出会う。自分自身の万博デビューがBIE万博ではなく、AIPH(A1)としての花博-BIE万博であること(EXPOO’90)、また、ボランティアスタッフとしても従事したことから、より強い思いを国際園芸博に対して抱いていることを伝えたところ、AIPH総会にゲスト参加できることに。3年後の2019年には北京花博に併せて開催されたAIPH総会へ再び参加し、横浜国際園芸博覧会が開催内定を得ることとなったプレゼンテーションの場に立ち会った。
2017年 上海万博の跡地にオープンした「万国博覧会博物館」で外国人訪問者一番乗りとなる。
2018年 2度目の大阪万博誘致の一環として取材を受けた朝日新聞の記事に、勤務先名とともに顔写真が大きく載ったことがきっかけで、会社に「万博マニア」であることがバレる。怒られるかと思いきや、大阪商工会議所の一員として、社を挙げて誘致運動に参加していた経緯からお咎めは無し。むしろ、MBSテレビの情報番組「ちちんぷいぷい」への取材要請が会社へ寄せられた際、広報課から「ぜひ出演して欲しい」との流れとなり、職場に取材カメラを入れた上で、勤務風景と博覧会マニアの生態が撮影・放映される。
2018年 11月に大阪・関西万博の開催が決定。
2018年 5月に出演したテレビ番組の評判が、意外にも良かったとのことで、年末特番に再び登場。テレビスタジオにて、初生出演を果たす。
2019年 当該テレビ番組のスタッフが、新たにラジオ部門で万博応援番組を立ち上げることになり、11月に「ばんぱく宣言 われら21世紀少年団」のゲストとして初登場。以後、ひと月に1回のペースで番組に出演することとなる。(2022年4月の現在も継続中)
2020年 大阪万博50周年イベントの一環として、万博記念公園のナビゲーターを務める。これをきっかけとして、修学旅行生を中心とした公園への来訪者へ、EXPO’70や太陽の塔について案内するツアーガイドに就任。直近では、沖縄海邦高校の学生達を案内(2022年3月)。
2022年 コロナ禍のもと、勤続25周年メモリアル年休+通常年休を利用しEXPO2020 ドバイ万博を訪問。2月に連日18日間通った。フィナーレ時期には再渡航し、ラスト3日間を見学。

今後の予定  
◆4月21日 万博公園で建築系の専門学校生へのEXPO’70記念館ガイド
◆4月22日 MBSラジオ 「ばんぱく宣言~」の月イチ ゲスト出演
◆4月29日 吉本興業 万博応援イベント ゲスト出演
◆5月13日 DSA(日本空間デザイン協会) 関西支部 講演会
◆6月3日 関西大学 社会学部 ゲストスピーカー講演
2025年 10種類目の国際博覧会として、EXPO 2025 大阪・関西万博を訪問予定。
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